【エストニア滞在記23年夏】サウナ文化とは4(まとめる)

全体をまとめます。

 

簡潔に結論を書くと、

 

サウナにわざわざ入ることはないだろう?

 

ということです。

 

 

フィンランドのサウナ文化というものはある程度語れたように思います。
そしてサウナの効能にも触れました。
このブログの結論として、”日本においてわざわざサウナをチョイスする必要はないだろう”ということです。
間違えないでほしいのは、日本におけるサウナ文化を否定するつもりはありません。
なんなら私はサウナ大好きです。

 

サウナこそ至高!みたいな偏りは違うんじゃない?と思うだけです。
お風呂に入ることがフィンランドにおけるサウナ文化と同じだろう?と言っているんです。
お風呂+サウナに入っていいんです。
そもそもサウナ好きって言って週に何度も行く人は完全に趣味です。
趣味の否定なんてありえません。
それを許容したら音楽も、スポーツも、芸術も生活に直結していない界隈認定されてすべて否定する必要があります。
そんなのありえません。
全て必要です。
サウナだってそうです。立派な趣味です。
その趣味を嗜好している人を否定するつもりなど毛頭ありません。

 

私が言いたいのは、最初のブログに書いた
ととのうってなんだよ。
に帰ってくるのです。

 

本場のフィンランド、北欧圏ではサウナ文化というのは嗜好よりも文化・生活です。
誰もととのったとは言いません。

 

お風呂に入ったって、
温泉に浸かったって、
サウナに入ったって、
岩盤浴をしたって、
何したって気持ちいいですよね?
別に”ととのう”にこだわらなくていいんじゃないですか?
それぞれ好きに汗を流して、気持ちよかった。
これでいいんだと思います。

 

【追記分】

多分、ととのうってワードは趣味の領域なのかもしれません。

日本人にとってサウナはきっと趣味の領域からは出ない(現状出ていない)のでしょう。

だからととのうってワードが流行ったのではないかと思います。

お風呂に入ってととのうとはわざわざ言わないですよね?

それが”生活の普通”であるのですから。

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例えば、数に複数回サウナに行くとします。
いつもの順番で風呂に入り、いつもの場所に座ってサウナを楽しむ。
とても素敵です。その結果ととのう。いいと思います。
しかし、ととのうことにこだわったらどうなるのでしょう。
いつもの風呂が工事していたら、
なぜかその日は混んでいてサウナの温度が低い、
いつもの場所に座れない、
けっかととのえない。これではリフレッシュしに来たのにストレスになってしまう。

 

そうじゃないんじゃない?
いつもと違えど、サウナ入って気持ちいい。お風呂に浸かって気持ちいい。
これでいいんだと思います。

 


だから私は刺青の人がいる街の銭湯も、
カップルが話してちょっと煩い岩盤浴も、
人が多くて温度が低いサウナも、
馬鹿みたいに熱いお風呂も、
雀の涙の勢いのシャワーしか出ないホテルのお風呂も、
どんなお風呂でも楽しんで入っています。

 

お風呂、サウナ、気持ちいい!!!