【エストニア滞在記23年夏】サウナ文化とは1(現在のサウナ文化に思う)

サウナを趣味とする人が2010年代で徐々に増えてきました。

 

この数年間は「ととのう」のワードが良く出ていました。
COVID-19の話がなかったら、もっと一般化していったことでしょう。

 

そして芸能人でもサウナ好きを公言していたり、
わざわざ自宅(別荘?購入した郊外の山?)にサウナを設置していたりもしています。

 

サウナはもともと温泉施設には存在していました。
スーパー銭湯や旅館やホテルを中心に、都内にはドライサウナなんかもありました。
サウナ好きとしてはサウナが広がっていくのはとてもうれしく思います。
このサウナの広がりで、「こういう楽しみ方もあるのだな」と気づくことも多くありました。
サウナ文化の掘り下げなんかしなかったでしょう。

 

 

単純に疑問に思うことがありまして、

 

ととのう”って何?

 

どうなるとととのうのでしょうか?
なんというか、ととのったって言葉があることで、メディアでプッシュしていくときに耳馴染みを持ってもらうワードになると思います。
こういったコピーはやはり大切です。
しかし一方で、ととのうことに意識してしまい、例えばサウナが激混みでゆっくりできなかった。いつもの場所がなかった、いつものローテーションが出来なかったとき、「今日はととのえなかったな」となってしまわないでしょうか。
音楽でも、ライブに行って生で音を聞くことが出来れば十分に楽しめているはずなのに、「今日のライブは隣の人が・・・前の人が・・・」となってしまいます。
似たようなことが起こってしまわないでしょうか。
サウナはもっと、熱い→涼しい→冷たいの流れの中でなんとなく気持ち良ければそれでいいのではないでしょうか。
なので、わざわざ”ととのう”というワードを出す必要なんかないのかなって思います。
私はそう思います。

 

エンターテイメントとしてサウナ内でイベントをやることに異議はないです。
そういうイベントはやっぱり楽しいのだとも思います。
ただ、私は行かないだろうな。と思います。
サウナにせよ、岩盤浴にせよ、一人で静かに過ごしたいと思っている人です。
サウナに入って瞑想します。
深呼吸をして全身から力を抜くように、頭の中が空になるように、静かに自分の中に沈んでいくように瞑想します。
私はそういう楽しみ方をします。

 


私はお風呂もサウナも温泉も好きです。
何であっても入った後のサッパリ感が好きです。
エストニアのサウナの後に飲むKALIが好きです。
エストニアの外気浴が好きです。

 

別にサウナ好きを責めるつもりも、
ととのうを多用する人に苦言を言うつもりも、
お風呂派の人を否定するつもりもありません。

 

ただ疑問と思いを書いていこうというだけです。