2021年。
一つの耳朶が終了を迎えた。
それは一つの残り香を年明けまで感じることはできる。
みのりんのラストライブは本当に素敵だった。
みのりんが精一杯の想いで、ファンのみんなに、スタッフのみんなに、
できる全てをぶつけたのだろうなと感じた。
その思いは本当に素敵だった。
公演中にいくつかの出来事があった。
自動だったり、他動だったりしたが、それの全てがこの会場らしさなのかもしれない。
ライブとしても美しかったし、現地で鑑賞してスッキリとした心になった。
以前のブログ(下記URL)でも綴ったが、今月の上旬まではネガティブなイメージをいくらかもっていた。
それが払拭されてライブに向かうことができた。
ライブを終えて、ライブに行けて本当に良かった。
この様なかっこよく、美しく、伝説的なライブを見ることができて有難かった。
一人の音楽好きとして、ファンとして誇らしく思った。
さて、年が明けていくつかの人の感想なども拝見した。
皆さんの受け止め方も本当に素敵だなと感じた。
そのどれもが、みのりんからの愛情を受け取った。素敵だったという内容だった。
その中で一つ面白いワードがあったので私はそのことについて語りたい。
その話とは「愛って何だろう」というテーマ。
みのりんのファンであり、自身でもラジオを配信をしているボイラーさんの「ボイラジ」で扱っていた。
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愛って何だろう
時々考えてきたことがある。
今のところ、私の答えは出ている。それが正しいのかはわからないけれど・・・
自分の心に相手を住まわせ、相手の心に自分の心を少し分け与えること。だと思う。
みのりんの作品から愛情を受け取り、ファンの心にみのりんを住まわせる。
自分たちの想いがファンとしてみのりんの心に生きる。
夫婦や恋人や親子や兄弟、友人や先輩後輩でもそれは同じことなのだと思う。
大事な人であればあるほど、自分の心の中にいるその人は大きな存在で、失うことがあれば心は不安定になる。
心の中に大きな空間が開いてしまうのだから。
私は愛についてそのように解釈している。
色々な人が私の中に住んでいる。
きっと愛の解釈はその時々で変わっていくだろうけど、一旦はこの解釈がしっくり来ている。
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素敵な配信を聞かせてくれてありがとう。ボイラーさん。
ボイラーさんのみのりんの向き合い方はいつも全力投球で、本当にリスペクトしています。
そして自身でもアウトプットしている事にいつも驚かされます。
ボイラジもいつもポジティブで聴きやすくて楽しんでいます。
これからも頑張ってください。