妻との馴れ初めを語ろうと思う

これは私と妻とが出会った話。

事の始まりはTwitterだった。

私はリアル用アカウントと、茅原実里用のアカウントを作っていた。
茅原実里用のアカウントは誰となく適当にフォローしていた。
それこそアカウント名に「みのりん」、「曲名」が入っているか、
アカウント画像に茅原実里が入っていたらフォローしていた。
それほど気にせずフォローボタンを押していた。


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その頃の私といえば、恋人と別れ傷心中だった。
酷くメンタルをやられていた。
それこそ、亡くなってしまった方が楽なのだろう。
日常に色がなくなるとはこの事なのだろう。
私にとってはメンタルをやられるほどの、2度目の大きな失恋だった。
この頃にわかったことが一つあった。
「死神は人生の向かう先で待っているのではなく、影のようにそばにいるのだ」と。
「何かふとした時に、自分が弱ったときに、本当に些細なことで突然肩を叩いてくる」と。
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妻の事について、最初の印象は「時間」だった。
私は農業従事者だったので、朝は非常に早かった。

5時に起きて、6時には職場にいる。
朝に収穫し、収穫後はトラクターで耕起か施肥をしていた。
ある時は苗植えをしていた。

ラクターに乗っている時の最大の戦いは眠気である。
特に午後のトラクターはキツイ。
だだっ広い畑の中、時速3kmほどで走るトラクター。
車内はエンジンの揺れと適度な温度。
それはもうとにかく厳しいものだ。
エンジンの揺れなのか、自身で漕いだ船なのかわからなくなる。
そんな時、少しでも寝ない為の抵抗として社外に出て携帯をさわる。


・・・3月のある晴れた日、春の日差しと午後の眠気の中で私はTwitterを見ていた。

そして気が付く。
「この人なんで毎日15時ごろに『おはよう』と呟いているのだろう」と。
翌日もその翌日もやはり同じように15時ごろに呟いていた。
私は「ああ、多分夜勤の人なのだろう。朝に返ってきて寝たらこれくらいだもんな」と考えていた。
まだこの時は変わったフォロワー位だった。


ある日、何となく話し始めた。
本当に何気なかった。
最初は15時ごろの「おはよう」に対しての挨拶を何回かしていた。
そのおかげで私と妻はTwitter上で顔見知りになった(不思議な表現)。
その後(多分GWの頃)、「日本大使館前の桜が綺麗」という写真つきのツイートを妻は呟いた。
そして僕たちはそこから全てを始めた。
この人はどういう人なのだろうと会話を進める。
男か女かも知らない。話していく中で「丁寧に話す人だな」と感じた。


妻と話していた内容は本当に些細なこと。
それぞれがTwitterやLineで話すような内容をずっとリプライしていた。
当時話していた内容など正直覚えていない。
途中からは
「この会話どこまで続くのだろう・・・」
「続く限りは続けてみたいな」
などと考えていた。
会話の中で、エストニアという国を紹介された。
大学生だと知った。
日本に留学することが決まったと聞いた。
日本の音楽から日本に興味を持ったという事を知った。

私と妻との会話が続くたび、周囲の反応がざわついていた。
結局、リプライは1000通を超えた。


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会話を始めた頃、妻のTwitterアカウント画面をのぞいた。
I'm Estonian・・・・・
私「!?」
私「エストニア人!?え?把瑠都関の?バルト三国の?」
その衝撃は今でも覚えている。
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初夏のある日、とある人からDMをもらった。
「妻ちゃんと付き合っているの?」と。
私「いや。付き合っていないよ。どうして?」
「みんながTL(?)で付き合っているのかな?とか話しているから」
私「日本に来た時には色々な場所に案内したり支援するつもり」
そんな話をした。
私は妻に対して日本という国を、文化を色々見せてあげたかった。
エストニアはとても平らな国。
だから日本の山を見せてみたい。
住んでいる場所は海際の都市。
じゃあ日本の海や都市を見せてみよう。
それくらいの事を考えていた。


秋になる。
妻が日本に来る日が近づいてきた。
私は仕事が休みなこともあり、空港に行く約束をした。
多分、この頃には私は妻の事を好きになっていたと思う。
一方で「この人本当にエストニア人女性なのか?」
「私は騙されているんじゃないか?」
「どうしよう。ドッキリでおじさんだったら・・・」
などと考えていた。
「おじさんだったらいっそリスペクトをもって友人になってもらおう」
妻の来日が楽しみであり、不安だった。


10月、妻が初めて日本に来た。
妻は空港で「YOUは何しに日本へ」のインタビューを受けたそうだ。
いや、その後私も受けたのだけれどw

妻が空港にいた。
金のような、栗色のような、不思議な髪色の女性がそこにいた。
「本当に外国人だ」それが正直な感想だった。

 

それから先、しばらく経って私達は交際を始めた。

寂しい冬ではなくなった。